美大島在住奄 成田 小百合さん 「奄美らしさ」について、ご自分のお考えをまとめていただき、成田さんの持っていらっしゃるアイデンティテイーが伝わってきます。その感じていらっしゃる「奄美らしさ」をどうぞ大事にされてください。 それに加えて、奄美大島以外の奄美群島の島じま、また琉球諸島の島じまではどうなのかということにも、これから考えていただいたらよいのかなと思います。 八月踊りは、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島の6島だけに分布しているものです。シマ唄は、講義でも説明していますが、沖永良部島、与論島は琉球音階の民謡で、シマ唄といっても沖縄民謡に近い音楽文化になります。沖永良部島と与論島には、また違う伝統的芸能が分布しているということです。 わたしたちは、自分が暮らしている島にコンパスの軸を置いて、円を描くように考えてしまいがちです。奄美群島を相対的に理解するための視点と方法が「環境文化論」です。俯瞰しながら相対的に理解することで、自分が暮らしている島の特徴がわかってきます。よく「奄美らしさ」という表現が使われます。「奄美らしさ」について、何でもよいので、あなたが感じているものや、あなたの考え、意見を自由に書いてください。R.3年 | 科目104 |奄美の環境文化の基礎3(歴史) 高梨 約20年前、本土に住んでいた際、「出身地はどこですか?」と本土の人に聞かれた際、「鹿児島県の奄美大島です」と答えると、「どこにあるの?」「沖縄の一つの島?」と聞かれることが多かった。 その度に私は違和感を感じずには無かった。奄美大島の知名度の低さが気になったのではない。奄美大島が「沖縄」と一括りにされたことに違和感を覚えたのである。確かに奄美と沖縄は地理的近く、風土、気候もよく似ているが歴史、文化は全く異なるからだ。 時にテレビで奄美の紹介番組で、沖縄の三味線の音が含まれる琉球音楽が流れると、がっかりすることがある。風土・気候は似ていても、文化として独自の進化を遂げ、奄美と沖縄は全く別物の歴史、文化を持っていると感じている。よって以下に私の感じる「奄美らしさ」について述べたいと思う。 沖縄と奄美が異なる一面の一つとして、伝統芸能がある。琉球音楽と奄美の島唄は、歌、踊、着物、もちろんその起源や目的など似ているようで全く異なる。中国からの冊封使を琉球王府がもてなすことから始まった琉球舞踊。琉球古典音楽は中国との重要な外交手段の一つとして、格式高く、庶民のための音楽とは程遠い存在から始まる。 一方、奄美の島唄は、農作物の収穫を終え、集落の住民同士お互いの労をねぎらい、一つの集落の中で共同体として協力し合いながら農作物を作るからこその愉しみとして始まる。また、時には、砂糖地獄の厳しい環境下で、言葉にもならない悲しみや憂い、喜び、教訓を三味線の音にのせたこともの、島唄の一面でもある。 沖縄の琉球古典音楽の「おもてなし」としての伝統文化ではなく、一つのシマで、お互い協力し合い農作物を作り、時には一緒に楽しんで、時には一緒に涙する。 これは、どんな時代もその当時の行政統治による歴史的環境の変化に合わせて、島民が獲得してきた文化といえる。これは、同じ「南の島」だからという理由で沖縄とひとくくり出来るものではなく、そこに奄美らしさを感じるものだと考える。19
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