表流水がほとんどない「台地の島」の生活用水は、瀬利覚のジッキョヌホーのようなドリーネの底にある湧水地ばかりでなく、鍾乳洞の中を流れる地下河川も利用されていました。その現場を訪ねて、水道が整備される以前の暮らしの苦労を体感します。クラゴーとは、「暗い川」の意で、鍾乳洞の開口部を人為的に拡げ、中を流れる地下河川を利用していたものです。幼少期に水を運搬した古老・西直実さんの苦労談に耳を傾けながら、沖永良部島に顕著な水利用について現場で学びます。表流水がほとんどない「台地の島」の生活用水の現場をたずねます。そのロケーションを実際に確認することで、台地の島のかつての暮らしが見えてきます。「ジッキョヌホー」とは、ジッキョ(瀬利覚)、 ヌ(の)、ホー(川)の意で、カルスト地形の凹地(ドリーネ)に地下河川の一部が現れて湧水地となり、生活用水としてシマの人びとに使われていました。今は使われなくなったジッキョヌホーは立派な親水公園として整備されていて、シマのみなさんの憩いの場所、観光地になっています。シマのみなさんの「水」に対する想いまで現地で学びます。環境省「平成の名水百選」に選出されています。奄美群島の伝統的農業景観に接します。かつては、奄美群島では、どこでも畑地の境界にソテツが植栽されていました(薩摩藩統治時代以来、飢饉等の際にはソテツの実・幹からデンプンをとり救荒食として利用するため)。しかし、日本復帰以後、奄振事業で畑地帯総合整備事業(以下、畑総事業という)が進められた結果、そうした農業景観はいつのまにか失われてしまいました。沖永良部島も例外ではなく、大規模な畑総事業が進められ、そうした伝統的農業景観はほとんど壊滅してしまったのです。ここ国頭集落にはかつての農業景観が保全されていて、生活資源としてのソテツ利用の体験学習等も行われています。地域のみなさんのソテツに対する想いに触れながら、伝統的農業景観を学びます。okinoerabu-jima住吉クラゴー(知名町大字住吉)ジッキョヌホー(知名町大字瀬利覚)国頭集落のソテツ(和泊町大字国頭)okinoerabu-jima沖永良部島33
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