これまで「低い島」に分類されてきた沖永良部島にも山があります。島の南西側に所在する標高約246mの大山。そこに登り、地形を体感します。大山山頂一帯には、奄美大島のようなスダジイ、タブノキ、ヒカゲヘゴ等の森が形成されています。ここは島の形成史で、海面下に水没していない場所です。奄美大島・徳之島にも共通する植生が認められ、「大山植物公園」として保護されています。「台地と山の島」の地形を実感してもらい、沖永良部島の形成史を、そして奄美群島の島々が形成されてきた地史まで学びます。「世之主」と呼ばれた絶対的支配者とは誰か。その人物の城跡とはどんな城跡なのか。奄美群島の中世史は判然としない部分が多く、特に沖永良部島は難しいように思います。「世之主」とは琉球国北山王次男・真松千代で、本城跡は配下の後蘭孫八が築城したものと伝えられています。その構造は、「与論城」のような沖縄型グスクというよりも、本土型の中世山城に近いものです。そこに浮かび上がる伝承と史実のギャップも、沖永良部島の歴史を考えさせてくれます。「世之主神社」は、知名町大字下城にもあり、2つの神社とも明治4年(1871年)に創建されていて、奄美群島における神社祭祀の変遷を知る上でも興味深いものです。大山植物公園(知名町大字上城)世之主神社・世之主グスク(和泊町大字内城)34okinoerabu-jima
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