徳之島は、南西諸島の大古の歴史を解明する遺跡の宝庫です。これまでわからなかった南西諸島の縄文時代開始期の様子が明らかになりそうな大発見が、通称「シューバル(下原)」と呼ばれる地域の段丘崖に立地する洞穴遺跡からもたらされました。天城町教育委員会の学芸員・具志堅亮さんは、日頃から町内を丹念に歩き回り、遺跡分布の悉皆調査に余念がありませんでした。2010年にこのシューバルの洞穴に遺跡を確認していた具志堅さんの調査が、新たな大発見に結びついたのです。当遺跡は、縄文時代晩期から草創期まで、長期にわたる複合遺跡です。南西諸島では、これまで縄文時代前期(約7,000年前)以前の土器文化は確認されていませんでした。当遺跡で初めて草創期にさかのぼる可能性を示す土器群の存在が明らかになり、旧石器時代と1万年以上の空白期間があった南西諸島の縄文時代開始期の様相に注目が集まっています。現地を訪れて、ロマンを掻き立てられ、エビデンスに息をのむ想いで具志堅さんの話に耳を傾けます。南西諸島の中世史の幕開けは、徳之島におけるカムィヤキ陶器生産から始まりました。その陶器窯跡群をたずねます。戦前から奄美・沖縄の島嶼だけに流通する中世陶器の存在が知られていましたが、その生産地については論争が行われ、長らく不明でした。1983年に伊仙町阿三の「カムィヤキ池」と呼ばれるため池の壁面(写真下段)から窯跡が発見され(発見者は、当時、伊仙町歴史民俗資料館に勤務していた四本延宏さんと郵便局に勤務していた義憲和さん)、謎の中世陶器の生産地論争は遂に決着したのです。「カムィ」とは甕のことで、11〜14世紀 に生産され、100基ほどの窯跡が確認されています。現地でカムィヤキ陶器が果たした歴史的意義をかみしめます。tokuno-shimaカムィヤキ陶器窯跡(伊仙町大字阿三)下原洞穴遺跡(天城町大字西阿木名)41
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