〈環境文化〉という考え方は、新しい地域づくりの戦略イメージとして1990年代に鹿児島県の屋久島で生まれたものです。屋久島と奄美地域における環境文化に関する原理的な探求は、次に詳しい(鹿児島大学鹿児島環境学研究会編『奄美大島100人100の環境文化』南方新社、近刊)。 その戦略とは、自然保護と開発の両立をめざす地域づくりのために、屋久島で歴史的に蓄積されてきた自然と人のかかわりを〈環境文化〉として評価し、地域の個性化のために最大限生かすことでした。この試みは同時に、近代科学技術文明以後、自然界と人間活動とのバランスを崩してしまった世界共通の文明史的課題に取り組むという、二重の意味を持っていました。〈環境文化〉は、「固有の自然環境の中で、歴史的につくり上げられてきた自然と人間のかかわりの過程と結果の総体」として提案され、より具体的には「島の人々が島の自然とかかわり、相互に影響を加え合いながら形成、獲得してきた意識及び生活・生産様式の総体である」と規定されます(環境省那覇自然環境事務所『奄美地域の自然資源の保全・活用に関する基本的な考え方』(平成21年1月))。 教育プログラムの対象範囲は、奄美群島全域です。世界自然遺産登録は2つの島(属島3つを含む)のみで、喜界島、沖永良部島、与論島の3島は除外されていますが、奄美群島の価値は、世界自然遺産という科学的価値に還元できるものではありません(屋久島、奄美の環境文化の形成に中心的な役割を担った元環境省技官の次の書に詳しい(小野寺浩『世界自然遺産奄美』南方新社、令和4年))。 奄美群島には、「高い島(山の島)」と「低い島(台地の山)」と表現されるような、島や集落(以下、シマという)ごとに個性ある自然・地理特性があります。また、国の「境界領域」として琉球国、薩摩藩、米軍統治など複雑な行政統治(伸縮する国家領域)を経験してきた特有の歴史と、その中で育まれてきた文化があります(奄美群島の「境界領域」をはじめ奄美の自然、歴史、文化は次に詳しい(奄美市立奄美博物館編『博物館が語る奄美の自然・歴史・文化』南方新社、令和3年))。 戦後復興が本土より遅れた影響で、奄美群島には自然と人を大切にする結の精神が今なお息づいており、奄美群島の価値と魅力は、5つの島の比較によってこそ語ることができ、より明確となります。 12 市町村にまたがる奄美群島は、 行政区分だけを踏まえても 12パターンの暮らしと生活が想定されます。日常生活の基層の場であるシマはすぐれて個性的であり、一つとして一様ではありません。 12の町や村と多様な基層コミュニティであるシマから構成される奄美は、豊かで複雑な〈環境文化〉を育んでおり、そこで生きる受講生の個性が相互の高まりを生み、島とシマの固有性への気づきを促し合っています。それらはまたつぎの新たな〈環境文化〉の創造・生成につながっていきます。07環境文化の考え方
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